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一 積極思考で夢をつかめ  二「いま」「ここ」で積み重ねよう   三 全ては利他の心から

竹井 倫世さん面談可
株式会社コンフォートダイナー 取締役副社長 株式会社まんりょう代表取締役

東京都三鷹市出身、千葉県船橋市育ち。幼少期より高校までプロのピアニストを目指す。大学への進学を検討する際にメディアへの興味から日本大学藝術学部を志す。アパレルブランドのプレス(広報)に憧れ株式会社ファイブフォックスに入社。在職中、ヘッドトレーナー(ブランド全体の統括責任者)として、20代女性をメンバーとするチームプロジェクトを牽引。フランスのブラウスブランドの店舗立ち上げ・拡大を成功に導いた。結婚を機に宮崎県へ移住。職業訓練校にて簿記の資格を取得。飲食業へ。
日南市南郷町【鰻両】にて2年間修行後独立し、株式会社コンフォートダイナーを設立。2020年(コロナ前)までは、台湾台北店含め9店舗の飲食店を経営。現在は、宮崎市と日南市で7店舗の飲食店を経営している。

ニシタチこども食堂実行委員会実行委員長、宮崎県ブランドアンバサダー、宮崎県食育ティーチャー、調理師

宮崎に移住して飲食業界に入り、会社を設立した経緯を教えてください。

大学卒業後に入社したアパレル会社で夫と知り合いました。夫が実家(日南市)の鰻屋に戻ることになり、結婚前ということもあり私だけ先に宮崎市に移住して、その間に職業訓練校(現在のポリテクセンター)に通いました。6ヶ月間、簿記やワード、エクセルの基礎を学び、個人経営に必要な業務を習得することができました。このときの学びが今も生きています。

結婚し、実家の鰻屋で接客と料理の勉強をしていた頃、宮崎市でぜひ挑戦したいと、市街地に鰻居酒屋を出店しました。最初はなかなか認知されず苦労しましたが、徐々にお客さんが多くなり、珍しさもあって新聞やテレビで取り上げていただく機会にも恵まれました。数年後、当時の知事の発信力もあり、驚くほど忙しくなりました。それをきっかけに店舗を拡大していきました。
店舗を拡大する際に、従業員のキャリアアップの道筋を分かりやすく示そうと、評価制度を導入しました。コンサルタント会社に依頼し、私たちも一緒に勉強しながら社是、経営理念、行動理念・指針、評価制度を作り、それを基に経営計画発表会も行いました。現在7店舗を経営し、従業員は約60名。理念経営を始めて18期目になりました。

  • 1992年 私立頌栄女子学院高等学校卒業
  • 1992年 日本大学藝術学部放送学科入学
  • 1996年 日本大学藝術学部放送学科卒業
  • 1996年 株式会社ファイブフォックス入社
  • 2003年 株式会社ファイブフォックス退社
  • 2004年 うなぎ処 鰻両入社(現株式会社まんりょう)
  • 2007年 株式会社コンフォートダイナー 取締役
  • 2021年 株式会社まんりょう 代表取締役

現在の活動の内容を教えてください。

会社では、副社長として、財務会計や広報、総務、人事、補助金申請、社会保険手続きから社員教育、給与システム・評価制度の構築等全般を担当しています。食の世界はアパレル分野とはまた違って、生産者から消費者までのルートが短く、どこまでも深く広く携わることができることにおもしろさを感じています。

多くのつながりもできました。一番は生産者とのつながりです。契約農家さんと連携して、生産者と消費者をつなぐイベントを開催したり、漁師や農家の方と一緒に食事をする会を開いたこともあります。それが県の方の目に留まって、「宮崎ブランドアンバサダー」委嘱頂きました。「食育ティーチャー」にも登録されています。私たちは先輩たちに多くのご縁をいただいてきました。次は後輩にもつないでいきたいと思っています。

また、コロナをきっかけにこども食堂を始めました。ニシタチでは多くの飲食店が休業、廃業しました。居ても立ってもいられず「みやざき晴夜」の店舗で「ニシタチこども食堂」を始めました。初回参加者は2人でした。小学校にチラシを配り、「誰もが来られる子どものためのレストラン」と伝え続け、宮崎日日新聞社の活動支援もあり、今では60人超が集まるこども食堂になりました。

令和6年11月にレストランで行うこども食堂は終了し、令和7年1月からは第4土曜日の「街市」の中で行うことになりました。大学生や国際交流団体の方などと一緒に、社会とのつながりができるような活動を行う予定です。子どもたちにとって、コロナの4年間というのはとても長く、コミュニケーションの取り方などに強くその影響を感じます。地域社会で子どもたちの成長を支えていきたいと考えています。

息抜きの時間は、どんなことをされていますか。

夫と愛犬との登山が息抜きになっています。小さい犬に引っ張ってもらいながら登っています。
登山は苦しいけれど、登っていると経営に似ていると感じます。途中、そこでしか見られない景色がある。登頂すると、登った人にしか見られない景色が広がっている。下山はより慎重さを求められる。私たち夫婦も50代を迎え、事業をどうしていくかということを考えます。あと、道具も大事。誰と行くのかも大事。いろんなことを山から教えてもらっています。

長く宮崎の中心市街地で店舗を経営されてきました。宮崎や街についてどんな想いがありますか?

宮崎は食の宝庫、生産基地、食糧自給率の生産額ベースが日本一。そこにこだわり、もっと発信したいと考えています。食と社会をどうつなげていくかについて関心があります。皆さんに、街というたくさんの人が来る場所、賑やかな空間の中で食べてワクワクする気持ちになってほしい。街の魅力を再認識してもらうことに力を尽くしたいと思います。

街市の副実行委員長を務めていますが、みんなで街を点ではなく面に広げていきたい。一番街、若草通り、広島通りにも新しい拠点ができて、駅前通りまで線がつながりました。これから高千穂通り、県庁前の通りと面にすることで街が活性化する。もっとおもしろくなるとの想いで活動しています。商売を始めてみたいと思う方が躊躇せず自分らしいスタイルでチャレンジできるようになるといいと思います。宮崎の子どもたちの多くが県外での就職を選び、「県外は楽しい」と言います。やはり地元に賑やかさが必要だと思います。

私は、社会人になってできた友人はほぼアパレルの同業者です。ほかの業界を知らないので視野が狭かったと感じます。
宮崎では多種多様な分野の方々と自然な形でつながり、今では行政、生産者、同業者をはじめ、いろんな業種の友達がいます。地方ならではの魅力だと思います。地域という核があって、多様な視点で地域を見る人がつながっています。若い方には、人生の選択肢の一つに地元に帰ることを考えてほしいと伝えています。帰ってきたら視野が広がる、仕事の幅も広がると思います。

これから社会に参画される女性の皆さんへのメッセージ

みなさんは、自分で思っている以上に経営に必要な資質が備わっている可能性が高いと思います。様々なことを同時進行で考え進めていくのが得意なこと、様々な気づき、気配りなど。
経営者だからこそ、工夫しだいで、家族との時間を大事にしながら、店舗経営を成り立たせていくことが十分可能な時代です。そのためには経営財務スキル、数字を知っていることが特に重要です。フードビジネスの授業では損益分岐点の計数の勉強もしています。数字が分かれば、選択肢が広がります。ぜひ、多くの人に挑戦してもらえればいいと思います。

みなさんに、私が人生で大切にしてきた言葉を贈ります。
「自分を信じて前向きに」
「人と比べない、自分は自分」
「一生成長」
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」

株式会社コンフォートダイナー

〒880-0001
宮崎県宮崎市橘通西3丁目9-1 カメリアセキモトビル1階
℡0985-31-1705

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後日、担当者から連絡をいたします。
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